(一財)全日本空手道 松濤館 |
正和館とは |
松濤空手道会 大阪 |
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空手発祥の地、沖縄より日本本土に最初に空手を伝えた伝統流派です。 |
(大正11年5月文部省主催運動展覧会にて体育としての空手を披露する) |
開祖、船越義珍(別名 富名腰 義珍 糸州安恒・安里安恒の門下生)は流派名を自分の屋号、 |
「松涛」を取り入れ、門下生が松涛館と名乗る。船越義珍により、伝えられた伝統的な空手は |
現在世界180ヶ国に広められておりその流派としては、最もポピュラーでしょう。 |
松涛館の流れを継承する(一財)全日本空手道 松濤館はその中にあって一番多くの会員・門下生を |
抱える組織です。松濤館の流れをくむ多くの団体が1つになり、体育としての空手を推進する |
(公財)全日本空手道連盟に協力する(一財)全日本空手道 松濤館の構成団体の1つとして |
松濤空手道会があります。 |
(会長 津山捷泰 平成26年7月 発足,「空手をオリンピック競技の種目へ」の合言葉で、一致団結。) |
本来空手は武術として沖縄より伝えられていたが、開祖船越義珍は、空手を武術から武道に改め、 |
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体育として精神・肉体・技術の三位一体の鍛錬として空手を指導普及する。 |
当時の講道館柔道創設者加納治五郎(柔術から柔道 日本体育協会初代会長)との親交が大きく |
影響されたものと思われる。(時代背景) |
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普及の拠点は当時の大学が中心で、慶応大・早稲田大・拓殖大・法政大・大正大・一高・東京大学等 |
又その教えを受けた和道流開祖大塚博紀は東大・京大・北海道大・東北大・九大等に広める。 |
国内外の他会派、流派と型の考え方が若干異なるのはこのためと思われる。 |
【HP表紙 良書の中、松涛館史・空手史等をご覧下さい。詳しく掲示しています。慶応大OB 望月先生著】 |
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現在の空手会は、スポーツ化された競技としての空手が主流になっており、開祖船越義珍の |
考え教えがより広まった結果と思います。 |
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正和館は、その考えに則り、松濤空手道会(会長 津山 捷泰)属し、松濤空手道会 大阪として |
松涛館流を学び、広める組織です。スポーツ化された空手は楽しむのが一番。 |
継続する事が何より一番、より強くなり、うまくなる。(継続は力なり、何事にも動じない) |
それが一番強く、舞台では誰も助けてくれない、何事も自分自身で解決する。 |
《克己心》これが空手本来の教えと感じる。 |
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正和館は二つの支部に別れ、二つのスポーツ少年団を抱え、組織名として正和館と称しています。 |
正和館は館長古本師範が、教育者として(美大OB)道場を開設,空手のみならず、絵画・彫刻・陶芸 |
等を合わせて指導。情緒豊かな子供達の育成を中心に指導、後を継いだ藤村師範(中京大OB)も同様、 |
音楽、美術、スポーツに精通。空手を楽しむスポーツとして捉えています。後に控える指導員達も |
同様に、学校の先生、経営者、公務員等、其々の道にて活躍。開祖の教えを実践しているようです。 |
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指導員の中には、世界のチャンピオンとなった者もいる。子供達のよい目標となっています。 |
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正和館とは、そんな空手道場です。 |
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『楽しくなければスポーツではない。』 |
「武の道は和に通じ、和の道は水が流がれるが如し。」 |
「道とは己で極めるもの、教え学ぶものでは無い。」 |
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正和館門下生心得 |
勝敗は、己自身の汗と涙の結晶である。他の誰もが介入否。只挑戦するのみ。 |
故に 「無近 勝利」 という。 |
武の道は、和に通じ 和の道は 水が流々が 如し。 |
一筋の水滴 大河を作る。大河は悠々 これぞ正しき和の道 正和の館 。 |
正和館 |