この文典は日本教育空手協会 代表小野寺 脩先生(通称あごひげ先生)のHP掲載中
子育て論を許可をもらい、抜粋させて頂きました。 
先生は松涛館系の空手を教える傍ら、気功法も指導されておられる先生です。
HPを拝見させて頂き、素晴らしい方とHP上で知り合いになれたことを感謝します。
道場生の皆も先生のHPを訪問してください。 正和館 師範 藤村
  子育て論 その1・森川師範より 昭和薬科大空手道部
「一燈照隅」(いっとうしょうぐう)  
 自分の存在がいかに小さくささやかであっても、
  一燈となって一隅をてらしてゆく。
伝教大師                 
 そうすればやがてそれが百、千、万と集まれば万燈遍照(ばんとうへんしょう)
 あまねく社会をてらし国を照らすことになる。
 国民の一人一人が一燈照隅(いっとうしょうぐう)を行じて、
 光明の社会へもっていかねばならないと思います。
  子育て論 その2・高 橋 啓 一 先生 講演会より。
☆物事には必ず原因と結果がある。
 米づくりでも、米が取れる人、取れない人がいる。
水、空氣、土壌など、育てる環境はどうだったのだろうか・・
☆環境づくり(縁)
   
・3〜6歳 (幼年期)子供のしつけ
自立させるとともに躾をする。
良心の育成。自分にとりどれが良いことか。
良いことを取り入れ、悪いことを取り除く。
・7〜11歳 (児童期)   
3〜6歳の躾が出来ていれば心配ない。
責任を持ってやり遂げる力を蓄える。失敗を恐れず、最後までやりぬく。
過保護にしない。自分の決めたことを最後までやらせる。
親として手抜きをしてはいけない時期。
・12〜18歳(青年期)
進路の選択、社会的役割を模索する。
自分に対しての自信がないとまず人間関係がうまくいかない。
ノイローゼ、孤立、反社会的行動・・
進んで社会の中に入れるようにすること。
★躾(しつけ)
良心の育成。どれが良いことか。
良いことを取りいれ悪いことを取り除く。
★感化の教育!
親も意識する。
子供にだけ言うのでなく、お母さんがやっていることが自信になる。
『二人の責任』である。子供を真中において二人で向きあっていくこと。
☆大きなエンジン
大きなエンジンを作ってやる。
エンジン(エネルギー)が大きければ、
社会に出たときに(馬力が大きから)負けるわけがない。
★子供に出来ないということはない。
   ・吸収力  注意をそそぎ、集中力を身につけさせる。 
   ・記憶力  覚える。思い出す心。
   ・推理力  判断する力。
   ・想像力  常に興味を持って意識させる。 
   ・集中力  目標を持って集中する力。自信につながるように導く。
       
☆思考的には。
@外省思考
振り返って、全部他の人ガ悪いと考える。
暗い方向に行く。
社会集団から離れていく。
A反省思考
相手も悪いが自分も悪いと考える。(普通の考え)
B内省思考
私自身がどうだったか、と感じること。
他の人にありがとうの恩返し。
プラス思考に変えていく。
☆お・い・あ・く・ま 
 (おこるな)
 ・(いばるな)
 ・(あせるな)
 (くさるな)
 ・(まけるな)
『あ』が一番大事
氣長に信じる。あたたかく見守る。
そのうちに必ず芽が出ると信じる。
良い方向に向けるのが親の役割。
  子育て論 その3・子育ての根本    
教育ってなんぞや?みんなで考えて見よう!
いたいけな子供は愛で育つという、しかし人間である限り、
いかに幼稚でも、むしろ幼少であればあるほど純粋に、
愛を要求すると同時に「敬」を欲する。
「敬」を満たさんとするこころがある。
子供は、いかにいといけなくとも、すでに
3才になれば
愛の対象、まず母の愛を欲する。
可愛がられたい、愛されたいという本能的要求と同時に、
敬する対象を持ちたい。畏敬するという自覚はないが、
本能的要求である。敬する対象を持ち、その対象から自分が認められる
励まされる、励まされたい、という要求を持っている。
この愛と敬が相俟って初めて人格というものができていく。
その愛の対象をに求め、敬の対象をに求める。
道徳感情というものは
5〜6才から芽生えるとともに、
知能の基本的なものも、そのころから特に発動してくる。
理解力、記憶力、想像力、連想力、注意力など
基本的なものは
7〜8才から12〜13才までが一番旺盛である。
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小中学校の教育は、何を本体として何を付属とするか。
言うまでもなく、人間の徳性や良習慣、即ち「躾」が本体である。
人間の徳性や良い躾をするということが、教育の根本で、
知識や技術はそのつけたしでよい。
子供というものは、本能的に分けて言うならば、
母に愛・慈愛、父に権威・尊敬・敬慕、
こういう念を本能的に持っているものである。
(参考)運命を開く 安岡政篤 
プレジデント社
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  子育て論 その4・すばらしい子供    
励ましと一緒に住めば・・・!
★子供の教育
子供はすばらしい
子供は批判と一緒に住めば、人を批判することを学び
敵意と一緒に住めば、反抗することを学ぶ。
子供は嘲笑といっしょに住めば、引っ込み思案になることを学び
恥辱と一緒に住めば、自分を責めることを学ぶ。
一方子供は励ましといっしょに住めば、自信を持つことを学び、
賞賛といっしょに住めば、感謝することを学ぶ。
子供は公正といっしょに住めば、正義を学び、
   安全といっしょにすめば、人を信じることを学ぶ。
子供は容認といっしょに住めば、自分を愛するようになり、
受容といっしょに住めば、周囲にを見いだすになる。
ネイチェル
  子育て論 その5・躾、正座の意味    
★躾ってほんとうに難しいよね
☆躾(しつけ)
人間としての在り方を美しく自然にするもの
 躾という字はうまく出来ている。「身」という字を偏にして、
「美」という字を旁にした。これは日本でこしらえた字でありますが、
まことによく出来た字です。体をきれいにする。
人間としてのあり方、生き方、動き方を美しくするものです。
安岡 正篤
☆正  座
ここぞと言うときの注意は、正座して聞かせる
 武道の世界では、正座するということは、すぐには立てない、
動けないということから、攻撃の意思のないことの表明だとも言われます。
立ち会いの前後に、神妙に正座して礼をするのは、
勝負の公正を期すためとも考えられます。
いずれにしても、正座して面と向かうことは、
真剣な対峙の時間を作ることであり、場合によっては、
じっくりと腰を落ち着けて話し合うための形でもあります。
とくに、日常的な生活の中にない非日常性を演出することによって、
子供にただならぬ雰囲気を感じさせれば、意が必要ないほど、
すでに言葉による注雄弁に叱咤や訓戒の効果は上がるのです。
しつけの知恵 多湖輝 海竜社
  子育て論 その6・人間の本性    
★剣聖・武蔵が到達したところは・・・
 「いま 魂の教育 著者」:石原慎太郎 発行:株光文社 より
★人間は生まれつき悪を持っている
親が子供に教えるべきことは、人間の持つそうした邪悪とも言うべき本性、
とくに自分のうちに発見される邪悪さから目をそらすことなく、むしろ、
それに挑む形で向かい合っていき、それを自分で抑えつけることで、
そうした本性を大きなスプリングボードとして使えということです。
たとえば宮本武蔵は、
当初、他に対して強い功名心や敵愾心から剣の努力を重ねたが、
やがてそのわざに通達することによって、そうした自分の本性を抑え、
淘汰し、剣聖としての境地を開くことができました。
芸術にまで高められた剣も、しょせんは並の人間が持つ、
世では邪悪とされている功名心、あるいは狡猾さ、敵愾心からしか
生まれ得なかったことを教えるべきです。
  子育て論 その7・親が見せる習慣    
「いま 魂の教育 著者」:石原慎太郎 発行:株光文社 より
★時代を超えて変わらぬ価値がある
親は、子供に、将来あさはかな流行に振り回される人間、
そしてまた、社会の機構によって自分を変節せざるを得ない
弱い人間にならないように、子供のころ、この現代、
時代おくれとなりあるいは滑稽と笑われはしても、
過去の時代に、それが明らかに美徳であったひとつの習慣を、
子供の前であえて見せる必要があるのではないでしょうか?
たとえば国民の祝日に一家そろっての国旗の掲揚の儀式でもいい。
あるいは、坂道では、子供たちのおじいちゃん、おばあちゃんを
親みずから背中に背負う、あるいはその背中を後ろから押すという
習慣でもいい。あるいは食事のまえに、目に見えざるものに、
感謝の祈りを捧げる習慣でもいい。
  子育て論 その8・親が教える体験    
★最近のテレビは なんなんだ!! 子供を悪くしてる根源だ!?
 「いま 魂の教育 著者」:石原慎太郎 発行:株光文社 より
★自分が欲しないことを他人にしない
私は子供のころ、近くの友人を、手に巻きつけた
輪ゴムの一端を放すことで痛い目にあわせて泣かせたことがある。
私には、泣いた相手の子がひどく大げさに思えて不本意だったが、
それを見ていた母親が家で私をとがめ、母親は同じしぐさで
私の手の甲を痛い目にあわせて、その時感じた痛みが大げさであるかどうか、
自分で考え直せと言いました。以来私は、思っていた以上に痛みの
激しいそのいたずらを他人に対してしなくなりました。
確かに自分で味わったことのない苦痛は、苦痛に感じられないということを、
我々は体験しない限り実感として味わうことは出来ません。
そして、そうしたいくつかの体験によって、初めて相手に対する
思いやりが生まれてくることを、親は子供に教えなくてはならないのです。